マイルストーンカナダ代表ブログ
2024-01-29

1/22に発表された学生ビザ発給数35%減について

画像はカナダの全留学生の出身国分布(2022年末時点)。日本は全体の2%で、インド・中国と比べ霞むほど小さい事がわかります。

例えば先日動画をアップしたジョージアンカレッジは、留学生約4500人のうち日本人はわずか10人前後との事でした(2%どころじゃなく0.2%です)。有名なセネカカレッジでさえ日本人は昨年80人程度。入学してもキャンパスで日本人とすれ違う事はまず無いとか。

ただ学校は、他国と比べ学生が少ないのに私達の支援にたくさん時間かけてくれ、本当に感謝しかありません。その背景には、もっと留学環境を整えたいという気持ちも垣間見えます。

実際、私達が取引する公立カレッジが口を揃えて言うのは「学校はただ学生を増やしたい訳じゃない」「留学生の多様性が大事」「だから日本人をもっと増やしたい」という言葉です。
本当にどこのカレッジと話しても似たようなセリフを聞きます。いまも春秋に日本で費用をかけ大規模な留学フェアを大使館主導で行うのも同じ文脈でしょう。

という事で、国別の留学生数があまりにアンバランスな現状で、ビザ発行数の制限が全ての国へ同じように適用されるとあまりにアンフェアです。カレッジ・大学のマーケターの努力も無駄にしてしまう。

もちろん多様な要素を考慮して設定されると思いますが、フェアなルールになる事を祈るばかりです。

元ポスト:https://twitter.com/MilestoneSyrup/status/1751058083596632550

2023-01-28

ビジネスも自然選択

企業は自分の努力で生き残ってると思い込んでいるが、生物の自然選択と同じで、環境に適しているから生き残る、適していないから絶滅する。実はそんなシンプルな理屈だけが動いているのでは無いかとも考えます。

会社のマーケティングは一見どこも一様で似たような活動をしていますが、顧客との向き合い方、経営スタンス等は各様で、深掘りすると個性が結構あります。
留学エージェント業界でも、何を強みとしてPRしているか異なります。例えば情報量、知名度、現地サービス、料金(割引)、規模、実績といった部分を強みとして強調する会社。そして企業カラーも良く見ればかなり異なります。

アピールするものが違えば、反応する人も違います。反応し、共感いただいた人がカウンセリングを開始し、最終的に顧客になる。つまり企業が個性を持つという事は、言い換えれば初めから自ら顧客を選んでいるとも言えます。(どのような顧客との出会い方でも、必ずそこには会社の方針や個性の影響があります)

こうやって集まった顧客をケーススタディとして、または成功体験を元に、さらに同方向の圧力が高まり、バイアスも加わり、経営方針が濃くなる。こうやって同じ経営者が経営を続けるほど個性が濃くなり、企業には個体差が広がる。これらの企業毎に異なる方針、カルチャー、ベクトルはそう簡単には変えられません。これが会社のDNAです。

そして変動する社会で生存競争をしていると、企業は自分たちの労力・努力で波を乗り越えていると勘違いするかもしれませんが、実際は自然界と同様に、環境(社会)に適応し生存しやすいDNAを持つ会社が生き残り、そうでない会社は小さくなるか消えていく。巨視的に見ればただそれだけなんだと思います。どのような活動をしてもその根底には変わらない企業DNAが存在し、たまたまその時点で社会から選ばれているだけ。勝つのではなく、単に生き残っているだけである。

コロナのような天変地異があれば種の選択圧が一時的に高まり、それこそいわゆる「自然淘汰(自然選択)」が短期間で進行する。

ちなみにここで言うDNAの実体は、目に見えない経営者の「考え方・性格」です。経営方針、ポリシーやビジョン、目標は経営者の心づもりで容易に変わりますが、経営哲学が変わる事はそうそうありません。

2023-01-12

太上は下これあるを知るのみ

メンバーが主体的に動く

私の人生哲学の原点である老子には、以下の一章がある。

老子十七章
「太上は下これあるを知るのみ。その次は親しみてこれを誉ほむ。その次はこれを畏おそる。その下はこれを侮あなどる・・(続く)」

(現代語訳)
理想的な君主は、民衆がただその存在を知るだけで何をしているのか解らないくらいで良い。次に良い君主は民衆が讃える君主で、その次は民衆が恐れる君主、その次は民衆から侮られる君主である。

無為自然の老子哲学を為政者に向けた有名な句。為政者、リーダーの立場で読めばなかなか味わい深くないでしょうか。

これをビジネス・組織論にあてはめた場合、リーダーは指示したりチームを引っ張るのではなく、ただ存在する、程度に部下から認識されるという事になります。
一見無責任な話に聞こえますが、そもそもこれが成り立つには組織としての高い完成度が前提となります。つまりトップが口を挟まずとも動いていける自立的な組織、メンバーが主体的に動き、リーダーが介入せず意思決定・判断が行われる組織、という事になります。

リーダーが何もしないという意味ではなく、作為を行わないという事である。自分の希望する方向へ圧力を加えない、マイクロマネージメントをしない。ティール組織のように上下関係ではなく個々が横の関係でダイナミックに意思決定・判断が行われ、組織自体も動的に進化していけるものが理想だろう。これにはスキームだけでなく、個々がそのように動けるメンタリティに至る、つまり心理的安全性、および精神的な文化の醸成・構築が必要となる。

このような組織では、社員は上司に判断・許可を問いかける必要がない。この状態ならリーダーは社内のガバナンスへ割く時間が最小限となり、経営そのものに集中することが出来る。

これを実現するには、社内の秩序が完成しており、業務フローも迷いが無く明確、つまり誰がやっても同じように業務が流れるようにしなくてはならない。

業務フローについて

誰がやっても同じように業務がフローする・・言葉では簡単に言えるが、そのようなスキームの構築は簡単ではない。局所的には実現出来るが、仕事全体ではどうしても個人の判断や手作業に委ねられる部分を排除出来ないからだ。例えば大企業ですら個人の作業ミスによる大障害が定期的なニュースの見出しと化している。小規模な会社ではもっと個人の能力・判断に業務がゆだねられており、なおさらだ。

いずれにせよこれが実現、または合理化が進めば、業務フローそのものに関する疑問・相談・判断が減り、管理オーバーヘッドが減る。ティール組織または「太上は下これあるを知るのみ」に一歩近づく。

ただ網羅的に細かいルールを用意するのではなく、出来るだけシンプルで弾みのある柔軟なポリシーとすべきである。そうしないと進化・改善の余地がなくなる。そもそも細かすぎるルールは作為に近いものがあり、弊害が増える。

弊社のような小さい会社では、経営者やリーダーは、コマンダーでありながらプレイヤーも兼ね、大企業でいえば多くのタスクを一人でこなす状態にあり、足かせにもなっている。私が常に直面している大きな課題だ。

今は主に以下のような事に取り組んでいます。

・迷いのない業務フローや規定の構築
⇒実施済みのつもりだが、完成度は道半ば。常に改善中。

・権限の多くをスタッフレベルに落とす
⇒実施済みだが浸透にはさらなる努力と時間を要する?

・小規模組織を維持する
⇒現状維持

2022-12-30

私のポリシー(チーム編)

弊社では知識・情報をWikiというシステムで社内共有していますが、ここに私の組織運営・経営のポリシーのコーナーもあります。その一部をご紹介します。

大切なのは、こういった方針はルールで押し付けるのではなく、個々のメンバーが内発的に動くようガバナンスする事です。それは簡単ではありませんが私の場合、指示や強制はせず、リーダーがこのスタンスを発揮し、その姿を見せる事で進めます。強制しない理由は、力関係では真の文化を作る事は出来ないからです。

外発的ではなく内発的にチームが動くようにするには、リーダーが哲学をもち、かつ時間をかけて進める忍耐力が大切と感じています。


心理的安全性がある

社内では誰が発言しても許容される。
自発的な行動や意見は歓迎される。(正しい・間違いは重要ではない)
そしてチームメイトをジャッジしない、評価しない、断定しない。

自発的に動ける組織

多様性を認め、話し合いを重視。
会社が押し付けるのではなく、スタッフ自身が考えて決めてゆける組織。
自らルールを作ったりチャレンジ出来、会社はそれを受け入れる。メンバーが主体性を発揮出来る。

ルールは最低限

ルールを作りすぎると、個性を排除し機械のように人を同質化させる。ルールを増やす事は、創造性を押さえつけ新しい可能性の芽を摘むこと。自由を奪い、個人の強みを活かす機会を奪う。
従って画一的なルールや目標を全員に押し付けてはいけない。それぞれにあった目標、責任、待遇があってしかるべき。

ルールを減らすことは、多様性を受け入れることである。個人個人で働き方をチューニングしやすくなり、パフォーマンスをあげやすくなる。

マイクロマネージメントをやめることは上司や経営者にとって勇気がいるが、信頼関係とのトレードオフである。ルールを減らす事のもう一つ良い点は、タスクが減り管理オーバーヘッドも減る事だ。

肩書はいらない

人にラベル(肩書)をつけた瞬間から余計な力が働き始める。
肩書きは思考に影響し、ポジショントークが増え、本質を見誤る。
役職・ポジションに固執する人は人望を失う。
肩書きによって「責任」を生み出すと、周囲に「無責任」が生まれる。
唯一、プラスに動くラベル・肩書は、その人の「名前」である。だから名前で呼び合えば十分。
下の名前またはニックネームで呼び合いましょう。

雑談推奨

会社の同僚は、家族の次、または家族に匹敵するほど時間を共にする。
同じチームメンバーであり、家族に準ずる仲間であるのが理想。
心理的な壁は出来るだけ無い状態が、よい関係作りになり、仕事のしやすさに繋がる。
それを手助けするのは、雑談や、ご飯を共にすること。
業務中の雑談、社費による食事は会社として推奨します。

仕事を分担しすぎない

工場のベルトコンベアや機械作業のように、業務を分担し過ぎてはいけない。
例えばカウンセラーなら、カウンセリング以外の手続きも出来るだけ一人で行う。(学校手続き、入金・支払いの管理、渡航までのフォローなど)
業務を分担しすぎると、他人を「機能」として見るようになり、敬意が薄れる。精神的なぶつかりや、衝突、不協和音が生まれる。
一方カウンセリング周辺の業務にも関わる事で、アイデア、改善点、問題意識が生まれる。

一流だからこそ

細かい作業もカウンセラーが行うのは、上記の「分担し過ぎる事の弊害」を避ける事が理由。

一流のプロであっても、泥臭い事も含めてやって一流。
テスラ・SpaceXのイーロンマスクは現場で従業員と一緒に働いて寝泊まりしたり、一流の医師も自分の手で手術を行います。

私が目指すのは、一人のプロとして、仕事を分割しすぎず一通りの業務をこなし、かつ業界高水準の報酬を得る、というものです。

2022-12-11

読書と人生

私は読書が好きだ。(最近はあまり読めてないが)

いつかリタイアしたら毎日本を読みまくる人生は楽しいだろうか?

と考える事がある。

恐らく、それは充実した日々になるのは間違いないと思う。

好奇心と知的欲求を満たし、思考やアイデアが発展する刺激的な時間が続く。

願わくば死ぬまで読書を続けたい。

 

ただ

知識を頭にインストールするだけは、今感じている読後感には至らないだろう。

リアルな生活体験とセットになっているからこそ、いまの充実感に至る。

得た知識が自分の生活体験と交わって、脳の中で動き回る。

 

生活体験・・

特に経営は学びの宝庫となる体験だ。

 

人生は思い通りにならないが、会社経営はそれの最たるもの。

言い換えればひたすら問題を解決する事が経営であり、かつそれが思い通りにならない。

そんな日々で頭に汗かきながら考える日々に読書をすると

頭の中で色んな物が結びついて化学反応する。

小手先の話や、哲学的なテーマまで様々が反応する。

精神的な成長を得る事も多い。

たまらなく刺激的だ。

 

とにかく

好きな事をひたすら続ければハッピーか?という事はこの世に無いと思う。

ことに読書もそれが当てはまり、

生身の人生経験とセットだからこそ、更なる楽しさにつながるんだろう。

2022-04-10

やりたいからやる

目標・ゴールを難しく考えるより
「やりたいからやる」
で動き出してもいいんです。

「頭」じゃなくて「気持ち」で決めるということです。

やりたい事なら楽しめる。
だから打ち込める。
没頭出来る。
経験がどんどん増して、
自分が変わり(成長し)
次のステップは自然と見えてくるものです。
それはもともとイメージしてたゴールとか目標・計画と違う事が多い。

人間の人生なんだから
頭で考えた通りに進むものでもないですしね。

どうなるかわからない未来・将来を頭で考えるより、
まずは自分の気持ちに素直になり、
そこに全身全霊を注ぐことで見えてくる人生もあります。

2020-12-20

本質はシンプル

色んな本を読んでいると「あれ、別の人も同じ趣旨の名言を言ってたな」と思う事がよくあります。

現代の成功者や歴史上の偉人、それこそ紀元前の思想家からも、本質的には同じ意味や共通点がある言葉を見みかけます。

つまり、人の本質は既に何百年・何千年も前から明らかになっていると言えます。

現代語られる、人間の本質を突いたような話は非常に説得力があったとしても、

過去に語られた真理を別の言葉で再発見しているだけなんだと思います。

 

ただその発見は、まったく異なる方面から追求しても同じ真理にたどり着くのがおもしろい。

経営も、スポーツも、政治も、戦争も、人間関係も、健康も、ビール造りも(個人的趣味)

本質を突き詰めると、同じ共通の真理にたどり着く。

 

稲盛和夫さんの「成功への情熱」という本の中に「心の次元を高める」という話があり、

その中で、数学の難問を次元を一つ高くする事で解決して賞を受賞した教授の言葉、

「複雑な現象というのは、単純な事実の投影に過ぎない」を引用されてました。

私はこの言葉は、人間の真理だけでなく、森羅万象・地球・宇宙の真理に繋がる話だと感じました。

 

人間はあらゆる事象を自ら複雑に捉えてしまってるが、

本当は全てつながったシンプルな法則が世の中に流れているんだと思います。

 

だから、目の前の現象をそのまま見るのでは無く、まず俯瞰し、そして抽象的にとらえ、

さらに究極にシンプルな裏の法則を学び取るように努めていきたいと思っています。

 

ちなみに稲盛さんの本では「次元をあげる」と表現していますが、

数学的には積分ではなく微分して次元を落とす事で数式がシンプルになるわけなので、

私の感覚では次元を落とす事で本質が見える、も言い方も正しいのでは無いかと感じています。

 

自然界を微分しまくって究極にシンプルにした先の

森羅万象を貫く単純な法則とは、どんなものなのかなーと想像を巡らします。

でもそれは驚く内容ではなく、実は既に知っている事なんじゃないかと思います。

だってすごくシンプルなものなんですから。

2020-11-02

行動を起こすための信号

心身の痛み、不安、ストレス、そして怒り・悲しみ・悔しさ・嫉みといったネガティブな状態は

行動を起こすために身体が発した信号だと思っています。

 

解決すべき問題を身体が知らせてくれているのであり、放置しても治ることはない。

 

例えば、内蔵に小さな痛みを感じ、放置したら病気が進行して取り返しがつかなくなった・・はわかりやすい。

ただ、体だけでなく「心」が発した信号も全く同じ事です。

むしろ体より心の信号の方が圧倒的に多い。

脳は未解決の問題を潜在意識で考え続けるので、信号の数だけ脳に負担が積み重なる。

スマホのアプリをどんどん開いて閉じないままだと動きが遅くなるのと同じ。

一時的なストレス発散などは問題の解決でないので、脳の負荷が消える訳ではない。

 

解決のための行動は大概、やりたくない事・気が進まないような事が多いが、

もうそれは仕方が無い。自分を客観視して行動に変えるしかない。

 

これは会社経営にしても同じ事である。

2020-10-23

信用する

前職(同じく留学エージェント)でメールカウンセリングをしてる頃に

カウンセリングは「信用」が全てだと悟りました。

そして今も会社経営していて、ビジネスは「信用が全て」と改めて痛感する日々です。

 

よーく考えると世の中この「信用」で全て成り立っているんですよね。

個人で世の事象全てを自分で見て確認する事なんて出来っこないから、

誰かが言ったことを信じないと何も始まらない。

だから日々、友人などと話す度に無意識で「信用」する作業を何度も繰り返してる事に気づきます。

 

でも商売は初めからお客さんと信頼関係にある訳ではありません。

本当は、値段とかサービスとか語る前に信用してもらわないといけないのですが、

この業界の殆どは順序を無視して、その逆で進めるケースが多い。

 

信用が先と言っても、「信用してもらうまで教えないよ~」って意地悪する意味ではありません笑

申し込みとる事ばかり考えるのか、誠実にお客さんと向き合うのか。それだけです。

 

信頼優先だと、申し込みいただけなくてもご縁が無かったと思うだけですし、なんとか言いくるめて売上をとろうとは思いません。

売上優先だと、信頼関係があろうが無かろうが、なんとか魅了させてお申し込みが頂ければ良いという発想になる。

 

信用ばかり考えてたら時間かかるし、むしろ売上意識が落ちてビジネスとしてマイナスでは?

と普通だったら考える人がいるかもしれませんが

この地味で一番大切な仕事をコツコツ続ける事が売上主義よりも大きな成功にたどり着くんです。

時間はかかるかもしれません。

が、私はもうほぼ1000%確信し、かつ今も成長を実感しているので

軸は過去から未来までブレません。

 

ショートカットを狙って美味しい実をとりたいと思うのが人間性ですが、

これは目に見える目先の欲に翻弄されてるだけです。

小さい成功で低空飛行、またはリスクを抱えて成長するならショートカットでよいが、

大きな成功は回り道ルートになっていて、でも結果的に早くゴールにたどり着くのです。

 

直線的ではなく、曲線を描いてゴールへ向かう方が、ビジネスでは正しいという事です。

(短距離走ではコレやってはいけません)

2020-10-23

2500年前の本を読む

最近、中国古典の王道、論語や孫子の兵法(の解説書)を読んでます。

孔子や孫武(上記書物の著者)は今から2500年前の人物にも関わらず

教えが現代人の心に突き刺さり、

人生や人間関係、ビジネスや会社経営などあらゆる事に適用出来てしまいます。

 

それを考えると、人間の真理というのはもう2000年以上前に明らかになっているんだと、驚きを隠せません。

こういった本に限らずビジネス書や成功した方の本は、読むほどに共通点が多いと感じますが、

実際に言葉を変えて同じ真理を語っているのだと思います。

人生は、その共通する真理を体験から見つけていく旅なんだとさえ感じます。

 

さて孫子という古典は「兵法」なので、戦術書、つまり戦争をするための本です。

ですから「敵」の存在が常にある訳ですが

私がコレを経営者視点で読む時に「敵」は何だろうと考えます。

私は他社エージェントさんは敵とは微塵も思ってませんし(逆に仲良い位です)、

他社が敵と捉えている会社の未来はたかが知れています。

 

まぁ私は普段、敵は自分の中にあると考えているのですが、

孫子の兵法を読むにあたってはよく「マーケット」を敵と捉えて読み解くと腹に落ちる事が多いです。

マーケットは実際は敵ではないのですが(むしろ逆の関係になりたいですよね笑)

「攻略対象」と考えると共通する視点を持つことができ、

面白いように吸収できる事があります。全ての章ではありませんが。

 

戦略書という事で、具体的な戦術にもいろいろ触れてますが

孫子での大前提は意外にも「戦わずして勝つ」「勝算無きは戦わず」です。

と言っても「仕事をしないで儲ける」という解釈はやり過ぎですが(笑)

自分達がどこを攻めるべきか、チームを守りつつどのフィールドで戦うのか?

そうやって考えながら読んでいます。

 

孫子の兵法は、極端に言えばこの有名な言葉で多くのことが吸収されてしまう気がします。

「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。」

⇒敵を知り自分を知れば戦いに負けることはない

 

いやー古典は面白い。今後の人生で何度も読み返したい。