- 一日三食
- お腹すいたら食べる
他人はあなたを理解できない
自分を本当に理解してくれる人は、自分以外に存在しない。
自分のすべてを知るのは、世の中で唯一自分だけ。
いくら仲良くても、たくさん時間を過ごしても、他人には自分の一部しか伝える事が出来ない。
逆に言えば、誰かの気持ちや努力を理解したつもりになるのは、大変おこがましいことだ。
自分の狭い世界観に引きずり込んでレッテルを貼っているだけの話。
お客様の事も理解したつもりになってはいけない。
そう思った時点でお客様ははるか先に居る。距離を縮める事は出来ても、たどり着く事は一生出来ない。
自分は無知であると自覚し、相手を理解する努力を永遠に続けるしかない。
強欲
「強欲の僕(しもべ)となるのではなく、強欲の主となれ」
最近読んだ本で見つけた言葉。まったくその通りですね。
これが運命の分かれ道。
洗脳された頭をぶっ壊す
夏前くらいから減量を始め、2,3か月で5キロ落ちました。この15年間くらいで一番体が軽い。
体重の7%くらいが落ちた事になるんですが、この位減ると色んな変化を肌で感じますねぇ。例えばありきたりですがズボンがゆるくなるとか、腕立て伏せが早くなるとか、山登り(バンクーバーのGrouse Grind)が以前より格段に速くなったとか。。
ところで減量の初期段階は、頭の中で食に関する「常識をぶっ壊す」という作業をしました。(響きがNHKを・・に被りますが)
ここで言う「常識」とは
という、一見ごくごく当たり前の習慣です。
この習慣が、そもそも人間の体にとって「不自然である」と感じ始めたのです。
自然か不自然かを考える時、たとえば人類が飢餓を克服する以前(石器時代とか)の生活を想像すればいい。
狩猟を主としていた時代から人類は常に飢餓と隣り合わせで、「空腹でいる事が当たり前」だったはずです。飢餓を克服した現代の「腹が減ったら食べる」は数百万年の人類の歴史でごく最近達成した習慣であり、人の体はこの急な変化にまだ対応できていない。当たり前と思っている今の食生活が、体にとって既に「食べすぎ」の異常状態なんです。だから普通に「腹が減ったら満足するまで食べる」は太る。
もう一度言いますが
「腹が減ったら食べる」という発想がそもそもおかしいんです。
こうして「空腹でいる事が人にとって正常な状態である」と考えるようになりました。
数日食事を抜いたところで人は死にません。そもそも今の体形のまま餓死するはずがない(正確に言えば、軽い飢餓状態が続くと筋肉中のたんぱく質と体脂肪をエネルギー源に切り替えるから、死ぬ前にもっと痩せるはず)
頭ではなく体が本当に食物を求めているか?に意識を集中し、必要最低限の量を食べる・・これだけで体重は適正な値に近づきます。空腹感は一時的なもので、ヤマを越えれば収まりますし、不思議なんですが続けていると空腹感を感じる回数自体が減ってきます。集中力が落ちるというのも幻想。あれは空腹感に意識を奪われているだけであり、実際に人間としての生命力が落ちている訳ではありません(むしろ多少の飢餓状態が続く方がサバイブするために生命力が活性化する感覚すら感じました)。
基本はこのプチ断食のような発想転換で食事を減らし、体重が5キロ落ちました。とは言え糖質以外の食べ物はそれなりに食べてますし、ワークアウト併用のためプロテインもしっかり摂取しています(これが空腹感をごまかしてくれる)。
このように「真実を発見」し「常識を壊す」という作業は非常に有意義です。
視野を広げると、身の周りにたくさんの「嘘の常識」が転がっている事に気づきはじめます。
今のややこしい時代に生きていると、
こうやって日々「常識を疑う」事をせずには真実は見えないし
本当に自分らしい自然な生き方が出来ないと感じます。
固定観念や常識、道徳、善悪、法律、国・・。
私は全て人間が秩序と繁栄を重んじるが故に作り上げた知恵と幻想だと考えています。
・・ってなんだか話が固くなってきたので、今日はここら辺にします。笑
とにかく、いわゆる「ダイエット」から始まってこういう境地に着きましたが、
私は社会の本質を垣間見た気分になりました。
本質とは、今常識と考えている事の殆どは幻想である、という衝撃的な事実です。
言葉自体に影響力はない
言葉そのものにパワーはない。
言葉を発する人の影響力が言葉から伝播するだけである。
弱さを認める強さ
自分の弱さを認める勇気。それこそが「強さ」である。
誇示すること、自分の弱さに目を背けること、それは「弱さ」である。
プライドや過信、感情を抑え、自分の弱さを受け入れ、
それに立ち向かう人ほど強い者はいない。
見た目、態度、肉体・・は強さと関係ない。
世の中「強さ」を勘違いしている人は多いだろう。
教師は自分の中に居る
生きている時間の一瞬一秒全てに学びが溢れている。
日常のささいな事柄からも学ぶ事ばかり。
成長の根源は学ぶ行為そのものではなく、
目の前に溢れかえっている学びに気づくかどうかだけである。
人には、謙虚さ・冷静さが必要だ。
お金
お金はものすごく大事だが、
お金にとらわれない事はもっと大事。
この二つがセットになって
相互に縛りあうことで初めて
儲ける事を考えてよいのだ。
ビジネスだけじゃなく、
人生の全てがそうだ。
思い上がり
つい先日、数年に一度位しか起きない大小のトラブル・事件が3,4つ同じ日に勃発、対応に追われた週がありました。
1つでも結構ヘビーなのに同時多発となると、余裕の無さで寝つきも悪くなる程ですが、一方で脳内の合理化が一気に進みます。「余裕が無い」からこそいかに頭を無駄に使わないかに意識が集中し、大事でない事はザクザク思考から切り離すし、決断が早い。この時の脳内スピード感はすごい。普段この状態にはなかなかなれません。(むしろトラブルとセットなら要らない笑)
とにかく色々学び、反省もした週でした。試練の後は、大量の学びと成長があります。
実は少し「乗り越えてやった」感がありました。
ところで今NetFlixでサバイバー:宿命の大統領(原題Designated Survivor)というドラマにはまってます。24シリーズのキーファー・サザーランド主演で、ある日突然大統領になった男の話です。(思いっきり説明はしょってます)
実際24を彷彿とさせるドラマで一瞬も飽きさせない展開がまた中毒になるのですが、まくしたてるように事件・攻撃・重圧・責任・裏切り、どちらを選んでも最悪の二択ばかり迫られる・・。
(ちなみに大統領役のキーファー・サザーランドと大統領補佐官役のイタリア・リッチが二人ともカナダ人てのがまたアメリカの懐の広さ・・)
まぁこれはドラマですが、実際アメリカ大統領は常人だったら耐えきれない重圧や問題のシャワーを毎日浴びてるのは間違いないでしょう。
このドラマを見てると、サザーランドが辛そうな顔で向き合ってる困難に比べたら、私のこの間の大変さなんて虫けらのウンコみたいなもんだ・・と、変な安ど感を感じるのでした。
自分が人一倍困難や不幸に向き合ってる、と感じたらそれは驕りだ。もっとキツイ人の存在を知ると、自分がいかに小さい人間か痛感して免疫力が高まる。
【今日の学び】
困難で辛い時は、ドラマでもっと辛い人の話を見る。気が楽になります笑
人はみんな弱い
人はみんな弱さや陰を抱えているもの。
それが普通で、それが当たり前。
弱さや陰を一切感じない人がいたとしたら、
単にその人の事をよく知らないだけか、
その人が弱さへの対処法を知っているだけの話。
人はすべて「好き嫌い」で動く
仕事も、経営も、プライベートも、何をするモチベーションも、
行動原理は全ては「好き嫌い」だなぁ。
究極突き詰めれば、人の世はぜーんぶそうだ。
好きな人とはポジティブな方向で物事を考えるし、
嫌いな人には何も考えないか、ネガティブな想像しか出てこない。
まぁそれが自然なんだな。
逆に「損得勘定」が「好き嫌い」より強くなると、おかしな話になってしまう。
好きじゃないけど得するから誰かと仲良くしようとか、
提携したくないけど儲かるから手を組もうとか、
これやっちゃうと歯車がどんどんずれてくるんだよね。
だったら、「提携すると得するけど、好きになれないから提携しない」の方がよっぽどましな考え。
最終的にはこっちのほうが多くの得を運んできてくれる。
まぁ一番は、人を嫌いにならない事ですね。
人生の大切な時間をネガティブな事に費やさずに済む。
なりそうになったらストップ。深入りしない。関わらない。
誰とでも「好き嫌い」感情なく仲良くすると、いずれ良い事がやってくると感じます。